エロい女と聞いて、あなたはどんな女性を想像するだろう?
色気が溢れている。いい匂いがする。ヤれそう。セックスが上手そう。性に貪欲そう。唇が厚い。瞳が潤みがち。下ネタに乗ってくれる。巨乳。知的。

人ぞれぞれ想像するエロい女は違うけど、どれか一つに当てはまっていれば、“エロい女認定”を受ける可能性が非常に高くなる。
かくいう私も、自分でこう書くのもヘンとはいえ、男性からエロい女として扱われてきた女性の一人だ。
誰よりも性的好奇心が旺盛だった
エロい女と男性から評された女性の大半は、軽く受け流すか酷く怒るといった反応を示すが、私の場合はあろうことか、その言葉を全力で肯定し、好意的な反応を返していた。
小学校中学年からインターネット(NOフィルタリング)が使いたい放題なPCが家にあり、同時期あたりに持たされた携帯電話もパケット放題&ノーフィルタリング。

元々、小学生向けの保健体育の教科書を図書の時間に真剣に読むほど、性について関心があった私はそれらを使い、調べに調べたのは…そう、アダルトコンテンツ。
官能小説サイトから始まり、AVのサンプル動画サイト。お気に入りは、風俗のレポート漫画。
家族共有のPCではそれらを検索や閲覧するたびに履歴は削除していたものの、個人所有の携帯電話のお気に入りサイトはそれらのURLで溢れ返っていた。
自慰行為もその時期に覚え、学校から帰った途端、こそこそと自室のベットで小さな快感に身を委ねていた日々を今でも思い出す。
エロい女は求められるという認知の歪み
毎日のように見漁っていたアダルトコンテンツには、分かりやすいエロい女たちが登場し、 分かりやすく男性たちから求められるという構図が多く描かれている。
というか、ほぼそれしか描かれていない。
当時の私は、両親の離婚もあり、とても愛情に飢えていた。

最愛の母親が家を出て、共に生活している父親は仕事が忙しく帰宅は大抵0時過ぎ。
いくらしっかり者の長女と言えども、その寂しさを上手く埋められず、 いつしか心の中にこんな考えが浮かぶようになっていた。
エロくなれば、誰かから求めてもらえるのかもしれない
幼さと無知故に抱いたその危険な思想に気づいた大人は、誰一人として存在しなかった。
小学生から中学生、中学生から高校生と、心も身体もオンナノコからオンナに変化していくにつれ、 その思想は誰にも気づかれることが無いまま、どんどんどんどん肥大していったのだ。
強い性欲+性的好奇心+相手を理解したい=狩猟系女子の爆誕
高校を卒業式に中退し、渋谷でアルバイトを始めた18歳の私。まだ未成年で飲み会に誘われることも無く、男性も少ない職場。
それ以上に人生初のアルバイトに忙殺されて、エロとは程遠い生活を約半年ほど送っていた。

転機が訪れたのは、それから少し経ってからだった。
職場には大学生が多く、みなジャンルは違えど容姿が整っている子ばかりで、 ある日その子たちと合コンに赴くことになった。人生初の合コンである。
結論から言うと、その晩、私は参加していたサラリーマンと一夜を共にしたのだ。
狭くも広い東京を舞台とした、私の性の冒険が始まったきっかけが、この出来事だと言っても過言ではない。
思春期に毎日のような自慰行為に及ぶほどの性欲を持ち、セックスに対して超ポジティブ。 だからと言って、相手が誰でもいい訳ではない。
抱かれるように仕向けるのは、
この人が好き!もっと知りたい!理解したい!
と思った相手のみだった。

しかし、男性からすれば、会ってまもない若い女性から激しいセックスアピールをされたとしたら、 据え膳食わぬは男の恥精神で抱くか、怖くなって抱かないかのおおよそ二択である。
仮に抱かれたとしても、二人の間に芽吹いたのは、 私が欲しくて堪らなかった愛情ではなく、何でも言い合えるような深い友情ばかりだった。
本命にエロいは不必要?
性の冒険全盛期(20-22歳前半)は合コンや飲み会で出会う男性と片っ端からベッドを共にしまくり、 気がつけば経験人数もそれなりの多さとなっていた。
今とは違い、ぽちゃ~ちょいぽちゃ体型で胸もそこそこ大きく、 厚めの唇にはグロスがぬらめき、色白の肌。何と言っても、若い。若くてエロい。これに尽きる。

客観的に思い返せば、自分が自覚している以上に入れ食いだった。
だからと言って、頭ゆるふわのヤリマンではなく、付き合っていなくとも好きな人が出来たら、 他の人とのセックスはおろか、お酒の席にすら寄り付かなくなるぐらい一途に愛を求め続けていた。
そのきっかけとなった好きな人とは身体の関係があり、身体の相性の良さを自覚し合っていたが、 交際に発展することは無く、ある晩の行為後にこう言われた。
セックスだけじゃ、付き合うことも結婚もできないからね

時を経て、現在。
性の冒険を経て、2017年11月から今も一人のパートナーとの交際が続いている。
およそ一年八か月を同じ相手としかセックスしていない事実に、自分が一番驚いているぐらいだ。
そんな性のタイガーリリーな私のパートナーは、性欲が人並みしかない。むしろ少なめ。
テストステロン値が高めな男性たちと渡り歩いてきた私からすると、思わず拍子抜けしてしまうほど。
だからこそなのか、彼は私の武器を評価してくれない。

一度「私ってエロいらしいよ~」と言ったら、返ってきたのは、
パートナーにエロさは必要ない。性欲の対象にしたくない
だった。
欲しかった愛を手に入れられたけど、同時に今までの自分、 エロい女を武器にしていた自分への絶望感も手に入れてしまったのだ。
死ぬまで愛する人とセックスしていたい
私の求めるセックスはビュッフェではなく、おにぎり。そうは言っても、彼とのセックスは最高でしかない。

身体の相性を確認することも無く交際がスタートしたが、偶然にも良かった。
可能なら毎日シたい私とそうじゃない彼など、性生活における不一致もあるが、 何せ私がこういった性分の為、そういった不都合もきちんと話し合えている。
たまに勝負下着を身に着け、終電の時刻と睨めっこをしながら、 目の前にいる男性とのその後を想像する夜を懐かしむ時もあるけれど、別に戻りたいとは思わない。
きっと、約二年半に及ぶ性の冒険は、ホテルのビュッフェだったのだ。

好きな料理を好きなだけ食べていい。自分の思うがまま、時間の限り選びたい放題。
たまに食べ過ぎて後悔したり、逆にあれを食べればよかったと思いを馳せたりする。
でも、いくら豪華な料理が隅々にまで並ぼうが、段々と落ち着きの無さを無視出来なくなってくるし、 お腹の様子もよくない。
毎日食べるなら、もっとシンプルなものがいい
と。

そう考えてみると、今のセックスはおにぎりと言えるかもしれない。
シンプルなのに何故か無性に食べたくなるし、毎日食べても飽きが来ない。 具材を変えるという少しの工夫で、無限に食べ続けられる。
激しさや情熱、ロマンチックさはあまり無いけれど、行為中は心から愛情と安心感を感じる。
例え、彼が私にエロさを求めていなくとも、そういった行為中の私は十分にエロい女だ。

そもそも、エロいの基となった言葉『エロティシズム』の語源は、ギリシャ神話の愛の神様エロス。 愛を求める為のセックスをしていなくとも、愛に溺れるセックスをする女性はみんなエロいとも言える。
それは何も男性から評価されるべきことではない。
先にも書いたようなステレオタイプのエロい女ではなく、私たちがなるべきエロい女像は人それぞれ異なる。
もっと言えば、誰かからの評価を基準にエロくなるのではなく、何が何でも自分ファーストでエロくなること。
そうすれば、セックスだけじゃなくて、愛さえも掴むことが出来るのだと過去を振り返って気がついた。
それぐらいエロとは表面的なものではなく、自覚している以上にずっと深く、複雑で素晴らしいものなのだから。